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芸術フォーラム 第五回

芸術フォーラムは今回が最終回。

1. チベット医学タンカ 『樹木比喩図』を絵解きする ---小川康氏(チベット医学医・薬剤師)
2. 私の祈り ― 在日チベット人医師の生涯 ---西蔵ツワン氏(武蔵台病院 院長)
3. 対談

という、充実した内容の講演会でした。



チベット芸術フォーラム~守りたい天空の至宝 聖地チベットを考える」シリーズ講演会
第五回 講師:西蔵ツワン、小川康


■ チベット医学タンカ 『樹木比喩図』を絵解きする  小川康氏

遅れて会場入りしたため、前半の小川先生の話はほとんど聞き逃しました(涙)。
「樹木比喩図」に細かくかかれた絵を示しながら、ルン、ティーパ、ベーケンという体質の違いと、体質ごとにどんなものが効く(?)のか、話されていたようです。
尽きぬ話に時間切れになってしまったようなので、ぜひぜひ続きをまたお聞きしたいです。


■ 私の祈り ― 在日チベット人医師の生涯  西蔵ツワン氏

写真とともに、インドでの亡命生活、1965年に第一期のチベット人留学生として日本へ来られたこと、など話されました。
日中国交回復(1972年)以前であったためにマスコミからも注目され、民放TV番組で特集を組まれたこともあったとのこと。
その後、医学の道に進み、国内外の学会でチベット人であることを言うと驚かれることが多かった。
チベット人として、チベットのことを考えなければならないと思うようになった。

チベットについて1960年代のマスコミでどのように取り上げられていたのか、初めて知りました、今とは隔世の感があります。
また、留学に木村肥佐生氏の協力があったこと、ダライ・ラマ法王の初めての外国訪問が日本であった、など聞くと、あらためてチベットと日本はけっこう縁があるのだ、と思いました。


「聖地チベット展」については、

「チベット人は仏像を拝む対象としてみる」
「個々の仏像にラベルがつけられていたり、壊れて修復された姿を見て悲しかった」
「仏像も頑張っている。君も頑張れと言われているようだった」

というお話でした。

■ 対談 (私のメモなので間違いもあるかもしれません) 

おおまかな内容は、
西洋医学、チベット医学、それぞれにできること・できないことがある。両者が補足しあうような医療が望ましい。
治療、特に終末医療では、患者と医師が価値観や死生観を共有することが重要である、など。

同じテーマであと1時間くらいお聞きしたかった~


□ 医療の場に宗教があると無いでは、どう違うか?

西蔵:
・今の日本の医療は悲惨な状況。
・チベットでは昔は教育と医学が一体化していた。
現代の日本はいろいろなことが細分化しすぎ(学校、病院など。その中でも専門が細かく分かれている)。
統合的にみられる形になっていない。
・チベット医学は仏教が抜本にある。日本の医学には抜本がない。

小川:
・チベット医学のアムチはチベット仏教の枠に守られている。
病気が治る場合もあれば治らない場合もあるが、医師と患者の間に信頼関係がある。


西蔵:
・自分の病院ではスタッフに、患者とコミュニケーションをとりなさい、と常に言っている。
医療がマニュアル化して、このようにわざわざ言わなければいけない状況である。
・緩和ケア(か?)に関わることは、精神科の医師にはとても負担が大きい。

小川:
インドで、アムチの診療に日本から来た精神科医が同席したことがある。
その医師は、日本の医療現場からみて、チベット医学の診療に学ぶものがあった、と言われた。

西蔵:
自分は、若い頃は西洋医学が先進医療と強く思っていた。しかし、それだけでは限界があると思う。
将来、日本の医療(特に終末医療)にチベット医学を取り込んで欲しい(共同研究など)。

「医者は科学者ではなく、文学者であれ」と思う。人を見て、人の心を見てほしい。


□ ダラムサラでのチベット医学と西洋医学の病院のすみわけはどのようになっているのか?

小川:
西洋医学の大病院とメンツィーカン(チベット医学暦法大学の病院)がある。
前者は総合病院のようなもの、後者は町医者のような存在と考えられている。
病気によって両病院が紹介しあって、総合的な医療を行っている。

チベット人には精神疾患や鬱病は少ないが、例えば、本土にいる家族の安否を気遣って病気になる人がいる。
その場合はゆっくり話を聞けるメンツィーカンの方がいいし、そのために診療時間がかかることには他の患者も慣れている。
大病院には精神科医がおらず、欧米からカウンセラーが来た事もあったが、うまくいかなかった。
チベット仏教という共通の概念を持っている方がうまくいく。

□ 日本の医療にチベット仏教ができることがあるか?

西蔵:
チベット仏教には哲学などさまざまな側面がある。終末医療などに役立つと思う。
ただし、無宗教の人には役に立たない。

死生観についての抜本が必要。
その上で、チベット仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、宗教の哲学を勉強して欲しい。



先生方のお話からは、治る・治らないを越えた、良く生きることのために尽力されている情熱のようなものが伝わってきて、ほんとうに頭が下がる思いでした。

私は日本の医療現場のことは、よくわかりませんが。
でも、過重な労働状況とか、判断責任とか、患者さんや家族の精神的なサポートとか、さまざまな問題を聞くにつけ、「大変すぎるんじゃないの~? 報酬があればいいってものではないのでは~?」と心配になります。
医師にもできないことがある、という単純な事実がなぜ置いておかれてるのかしら、と。

患者の立場からすれば、カウンセラーが担うべきことを内科とか外科の先生がしなければならないのは変、と思うのです(知っていて欲しいとは思いますが、)。

閑話休題。
日本の医療に抜本がない、という西蔵先生の言葉は重みがありました。

より良く生きる、という言葉は、本当は死後までふくめて考えるべきことなのかもしれないですね。
チベット仏教徒にとっては、体の障碍は前世の結果であり、生まれ変わって来世も生きるからには、心臓が止まった先のことも気になるのかも。
キリスト教徒なら、障碍を持ちつつ生きることの意味をあれこれ考えるのでしょう。死んだ後は……行き先は予約済み、のようなものでしょうか。

そうしてみると、無宗教の人が多い日本人の死生観をふまえた医療、というのは、とっても難しいことなのかも。
だって、考え抜いた末の無宗教、ならいいですが――。下手をしたら、死生をろくに考えないうちに寿命が尽きてしまう(!)人が多いということ。
当の患者すらわからない死生観を、医師がわかるわけがないんですよね。


もっとも、現状、病院に専属のお坊さんとか牧師さんが居たら超不評だろうな(笑)。


いつの日か。「あの病院にはいいお坊さんがいるわあ。入院するならあそこがいい」といわれる世の中になったら……それはすごいことのような気がする。

もちろん、宗教にこだわる必要はないと思いますが。
精神的なことも含めた医療のかたちが確立できたなら、患者にとってはもちろんですが、医療従事者にとっても朗報なのかも。

――そんなことを思った講演でした。

(追記: 小川さんの薬局では薬事法で認められた日本の伝統薬のみ処方され、チベット医学の薬は扱われません。来場者から「薬を買えますか?」と聞かれて、小川さん「法に触れますので、日本では処方できません」と笑っておられました)


「聖地チベット展」は、大阪、仙台でも開催されます。
大阪歴史博物館 2010年1月23日(土)-3月31日(水)
仙台市博物館 2010年4月20日(火)-5月30日(日)

芸術フォーラム資料「展示品所蔵元寺院の歴史と現状」は公式サイトよりダウンロードできます。展覧会を見に行く方は必見な感じです。

(芸術フォーラム第一回の感想はこちら
(芸術フォーラム第二回の感想はこちら
(芸術フォーラム第四回の感想はこちら
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  1. 2010/01/24(日) 22:53:01|
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