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「庶民が語る 中国文化大革命」

ゴールデンウィーク、帰省や旅行の方は道中お気をつけて~
私はcopper weekな感じの休みなんですが、気分だけはgolden(^^)

つい先日の話ですが。
ジェクンド地震の被災地で、窃盗を働いたチベット人が捕まって市中引き回しになったそうで。
四川大地震のあとでも、漢族の窃盗犯が同じようにされたというニュース記事を見ていたので、「ある意味、平等だな」と苦く思いました。

これを、現地に入った外人記者が報告しているのだが、彼はこれを見て、「まるで文化大革命の時代にいるようだ。こんな緊急時にそんなことをしている中国当局の気が知れない」と思ったそうだ。チベットNOW@ルンタ より)

そんな文革の本を読みました。




       (講談社)
ドキュメント 庶民が語る中国文化大革命ドキュメント 庶民が語る中国文化大革命
(1988/12)
馮 驥才

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原題「一百個人的十年」。文化大革命――この十年の間に歴史ある文明は消え失せ、人々は互いに殺しあった。災禍はすでに去りはしたが、誰が無辜の受難者に対して責任を負うのか。この時代は中国の庶民の心に何を残したのか。10人の体験談を収録したドキュメンタリー。「一百個人的十年」(百人の十年)という題で、1987年に香港で出版された第一集の邦訳。巻末に文化大革命関係年表を収録。


 文化大革命(1966~76)終了のわずか10年後に出版されただけに、収録されているのは生々しい証言ばかりでした。

 批判闘争にかけられる苦しみを見かねて、親の命を奪った女性。結婚後すぐに引き離されて十年も別れ別れだった夫婦。「毛沢東語録」を写し間違えたために逮捕・暴行を受けた人。毛沢東に心酔していた若い紅衛兵――。いずれも言葉を失うような体験談。
 そして、それぞれの話の中のひとことが「その時」の空気を感じさせるのが印象的でした。

「右派」として農村へ追われた者を、農民は「右派」の意味がわからないので「地主」と呼ばせて罵倒した。
「(ある農村では)毛沢東の写真を、かまどの神さまを祭った場所にかけてあるんだ」
「人間は能力があれば、それを使いたいよね、そうでしょう?」
「あの時ああせずに、どうすべきだったというのだろう。しかし、そんなのは責任逃れにすぎないと思った」


 人情の温かさ、たくましさ、国のために働きたいという熱情を熱く感じることもありました。
 自分の話などよりも妻の苦労を書いてくれ、と著者に頼む夫。獄中から家族へ仕送りする者。 人民公社の方針に逆らい、麦畑(?)の内側に隠してコーリャンを植えた農民。「もう一度わたしを四十歳からやり直させてくれたら、どんなにいいだろう」という人物。

 読めば読むほど混乱してくる。
「革命」、「反革命」、「修正主義」、「右派」……その言葉にどれだけ実態があったのか。
 思想など、ごく一部の人間しか理解していなかったのだろう。ほとんどの人は周囲に流されるように、混乱に乗じて利益を得ようとして、あるいは不満の捌け口として参加していたのではないか。


 その中で、もと紅衛兵の体験談はとくに読み応えがありました。

 当時、20歳の師範学校学生だったこの人物は、共産党の思想に心酔しながらも、農村の貧しさや文革が単なる権力闘争へ変わっていくことに疑問を抱いている。
 粛清の嵐の只中で、自分自身の目で見て考え続けている――このバランス感覚と知性に驚きました。

 体験談の最後で、彼は「自分は堕落はしなかった」、「紅衛兵であったことを恥ずかしいと思わないではないが、後悔はしていない」という。それは彼自身の結論でいいと思う。
 そして、それとは別に、政治のあり方や古くから続く封建主義、庶民の社会意識まで含めて文革を総括していることが印象的でした。ひとつの運動という見地からは文革を簡単に否定はできない、紅衛兵については歴史的に分析されるべきだ、と語っています。
 もしも、この知性と教養が他の用いられ方をしていたら、国にとってはさらに有益だったろうに。

 もし恨むとすれば、盲従を教え、単一思考しか与えず、さまざまな考え方を教えられなかったことを恨む。

 という言葉がとても重く感じられました。




 この本を手に取ったのは、その前にチベットの文革についての本(「殺 劫(シャ-チェ) チベットの文化大革命」)を読んでいたため。チベットの文革は中国内地の事情の余波ではないかと思えたので、まずは発信地の様子を知りたかったのです。「殺劫」と同じように庶民の目で語られているので、この本を選びました。

 中国人のメンタリティは‘今三つ’くらいわからないし、獏とした感想ですが。やっぱり、中国とチベットの文革では残されたものが違うように感じました。
 10人の証言者は中国が文革にいたった流れを知っていて、いつか悪夢が終わり、良い時代になることを待ち望んでいた。知識人は「あのことさえなければ、自分は祖国のためにもっと働くことができたのに」とも語る。彼らは、いくらむごい出来事に出会っても、それが「自分たちの歴史」となり得る素地を持っていたのでは?
そこが「殺劫」に書かれたチベット人の文革体験とは違うのではないか、と思いました。

 文革の十年間に何が行われたのか?
 著者曰く、

 もっとも完成された人格すら、強制的に「鋳なおし」を受けなければならなかった。

 とあります。ここを読んだ時に、チベット人が文革を表現した譬えを思い出しました。

 「紙を布に変えるように」すべてを変えようとした。

 『融かして鋳なおす』、『まったく違うものに変える』
 この二つの変容の譬えにはいろいろ考えさせられました。
(2010/1/22 読了)


目次

1 偉大なる受難者たち
2 ある夫妻の三千六百五十日
3 負けずぎらい
4 わたしは有罪ですか、無罪ですか
5 ある老紅衛兵の反駁
6 復讐主義者
7 わが三十年
8 現代のジュリアン・ソレル
9 牛司令官
10 失われた少女
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  1. 2010/05/02(日) 21:12:08|
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