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「餓鬼 ―秘密にされた毛沢東中国の飢饉―」

(中央公論社)
餓鬼(ハングリー・ゴースト)―秘密にされた毛沢東中国の飢饉餓鬼(ハングリー・ゴースト)―秘密にされた毛沢東中国の飢饉
(1999/07)
ジャスパー ベッカー

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「一人の男が死んだ赤ん坊を煮立つ鍋に。彼はわめいていた。『死んだんだ。殺したんじゃない』。これが毛主席の現れる前の中国だ」

 ――これは、映画「クンドゥン」の中の中国軍将校の台詞。
 でも、今の中国政府のもとでも、同じくらい深刻な飢饉が起こっていたことは、よく知りませんでした。





原題「Hungry Ghosts」。1958年から1962年、中国全土が深刻な飢饉に陥った。3000万人を超える餓死者を出した飢饉の原因は旱魃でも水害でもない。社会主義の理想郷を目指して打ち出された政策は何を引き起こしたのか。毛沢東や共産党指導部はなぜ事実に目を瞑ったのか。飢餓を生き延びた中国人やジャーナリストの証言をもとに、未だ真相が究明されない悲劇を描く。巻末に人物略伝を収録。



 この飢饉の実態については政府は今も明らかにしていない。
 18章に書かれた専門家の見解は省くけれど、餓死者は「少なくとも3000万人以上」と考えられている。穀物の代わりに雑草や樹皮、虫を食べ、人肉も食べた。布団の綿や靴、土を食べた結果、内臓が受けつけずにそれが原因で死亡した。あるいは歩きながら力尽き、倒れて死亡した。

「この飢饉の責任は誰にあるのか」
 正直言うと、最初はまえがきにあるこの問いかけが理解できなかった。これほど急激な、広域にわたる飢餓が人の手によって起きるのだろうか、とどこか信じがたかったので。
 しかし、書かれた内容は衝撃的だったし、飢饉に至る経緯には呆然としてしまった。

 1957年までは豊作で、政府は国民に食べたいだけ食べて生産に勤しむよう奨励した(半年分の米を二十日で食べてしまった村もあった)。一方、農民が鉄鋼生産に駆り出されたために収穫する人手がなく、穀物が畑で腐っていた。過去に飢饉を経験した者が陳情を行ったが、多くは受け入れられなかった。
 その後、科学的根拠も伝統も無視した農法(『深く耕すほど収穫が増える』として数mも掘る、『同種は生存のために協力する』という、科学よりも共産主義の理想に沿った考えで、作物を密集して植える、等)のために不作となった。食糧庫が空になっても、共産主義だから国から分配されると信じた者もいたが、そうはならなかった。
 さらに、役人が収穫高を高く偽ったことで事態は悪化した。
 農民を殴打・拷問して「あるはず」の穀物を徴収。一方では、対外宣伝のために穀物の輸出が行われた。その他にも、物々交換や家畜の個人所有の禁止、共同食堂での調理の義務付けなどで経済活動も日常生活も混乱した。

 これらの農業政策はソ連に倣ったものだが、その結果引き起こされたウクライナ飢饉(1932~33)から中国は学ぶことができなかった。
 毛沢東は食料不足の報告を信じず、党を批判した彭徳懐は反党分子と糾弾されて失脚。党幹部も「健康上の理由」などで次々に地方に引きこもってしまう。
 こうして、政策に歯止めをかける者がいなくなり、1960年頭には飢饉は最悪の状況になった――。


 単に収穫がないだけではなく、商売などの生きる方法まで奪われた――これは確かに人災に他ならない。これほど混沌とした状況で「この世の楽園」が語られていたとは、なんて皮肉なことだろうか。

 また、食べるために葉や皮を剥いだ街路樹に(痕を隠すために)色を塗ったという話には、木を伐採したはげ山を「緑化」するためにペンキを塗ったという、最近どこかで見たニュース記事を思い出した。
 この一事を以って、中国は変わらない、などと言うつもりはないけれど、何かが取り残されたように昔のままなのだろうな、と思った。


 それはともかく。
 この時期の中国を別の視点からも読んでおきたくて、他の本もめくってみた。
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ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)
(2007/03/06)
ユン チアン

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 飢饉については、当時著者がまだ子供だったためにあまり触れてはいない。しかし、飢饉を引き起こした政策がどのようなものであったか、著者の両親の目を通して生々しく書かれていた。
「すぐにでも欧米に追いつき、追い越せる」という毛沢東の妄言に人民がエネルギーをつぎ込んだことで、歯止めをかけるものもなく、国全体が荒れてしまった。

 この本は清朝末期、著者の祖母の時代から続く中国の混乱を描いている。
 日本による満州支配や共産党・国民党の内戦の中では、政治的な立場(権力者に従順であるか否か)が身の安全に関わるから、人々は隣人や家族にまで警戒心を抱いた。
 裏を返せば。共産党政府もまた、先の政権がどのように斃れたかを知っているからこそ、反乱を怖れて人々を抑えつけたのだろう。

 悲惨な現実が描かれている。だが、その中でも人情や恩義を重んじて、高潔さを失わない人の姿が印象的な本だった。

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「ワイルド・スワン」の著者ユン・チアンの両親は党の政策に疑問を抱きながら、身を守るために口を噤むしかなかった。また、農民は密植しても作物が育たないと知っていたから、視察が終わった後に作物を植えなおしたが、それ以上のことはできなかった。連行、拷問されるのを怖れてのことだ(ユン・チアンの父親はのちの文革期には毛沢東へ陳情書を送った。そのために逮捕され、過酷な取調べによって精神に異常をきたした)
 政策の失敗、それを修正することを拒んだ――いわば、二重の人災なのだろう。飢饉は中国に限らず、昔から世界中で発生したが、これは特殊なケースだと著者は書いている。

(他の飢饉との違いは)これが完全に人間が生み出した飢饉ということである。中国は平和な時代だった。虫害、異常な洪水、旱魃もなかった。穀倉には豊富な穀物が収まり、諸外国はいつでも穀物を供給できる状況だった。

 事実を黙殺した政府の責任は大きい。
 だが、この本の最終章には、他にも事実を知らなかった、あるいは知っていながら沈黙した人々について書かれている――西側諸国政府、そしてジャーナリストや知識人たちだ。

 当時、諸外国は中国で何が起きているのか、はっきりとは掴んでいなかった。限られた情報の中から飢餓状態を指摘した人もいたが、一方で、飢饉はまったく無いと断言した人もいた。

「昔のような飢饉は存在しないと私は断言する。配給制度が機能しなかったところでは飢餓が発生したところもあるだろう。栄養失調も疑う余地はない。ならば、大飢饉は? 答えはノーである」

「(中国を飢饉から救ったのは人民公社である)誰も飢えない、というのが全国のスローガンだった。飢えのために物乞いをしたり、亡くなる人もいない。たとえ空腹でも、共同体の全員が敢然と立ち向かい、そして援助の手がさしのべられる」


 彼らはほんとうに何も見なかったのか? それとも、見ながら事実を隠したのか? そして、中ソ関係を注視していたアメリカをはじめ西側諸国は、飢饉が起きている可能性をどう考えていたのか?
 その追求はこの本の目的ではないけれど、一章だけでもページを割いたことで飢饉の背景がより深く見通せるようになっている。
 

 そして、著者はこの災害の実態がいまだ明らかにされていないことを憂慮している。

 依然、飢饉の全体像はつかみきれていない。重要な時期に最高幹部がどのように行動したのかが明らかでなく、このことが飢饉の原因究明を困難にしている。……(中略)……飢饉の全容が明らかになることは、共産党の内部資料が研究者に公開されるまで待たなければならないが、飢饉の責任を分けあった者たちが権力の座にとどまっているかぎり、公開されることはないだろう。(まえがきより)

 当時を知る人、その子供が生きてるうちはまだいいが、その後はどのように歴史書に書かれるのだろうか。
 もしも未来に同じことが繰り返されたなら、それは三重の人災ということになるだろう。それを考えると、飢饉そのものも悲惨だけれど、政治の都合で真相が隠されたまま、という点が恐ろしい。

 たくさんの中国人が、飢えながらも「いつか毛主席が助けに来てくれる」と信じていたという。彼らの死が真相とともに悼まれる日は来るのだろうか。


 そして、最後に。この時期のチベットでは何が起きていたのか。

 チベットでは、土地の特性や文化を考慮しない農業政策を押しつけられていた。
 小麦やトウモロコシを食べないのに、それを植えなければならない。深耕によってチベット高原の薄い表土が痩せた。パンチェン・ラマの抗議の文書は、政治闘争に利用されただけだった。
 少数民族の中ではチベット人がもっとも大きな被害を受けたという。中国の他地域よりも文革後の改革が遅れたことから、20年近くも飢餓状態が続いていた。4~5人に1人が死亡、強制収容所では半数以上が死亡した。
 また、チベット人には漢人と違って飢餓の経験がなかった。「漢人が木の葉や雑草の食べ方を教えてくれなければ死んでいただろう」という言葉に、何とも複雑な思いがした。

(2010/9/11読了)


目次

第一部 中国 ―飢饉の大地―
第1章 飢饉の大地
第2章 立て! 飢えたる者よ!
第3章 ソ連の飢饉
第4章 第一次集団化 ― 1949~1958
第5章 偽りの科学、偽りの約束
第6章 毛沢東は飢饉を黙殺した

第二部 大飢饉
第7章 飢饉の概観
第8章 河南省 ― 嘘が生み出した大災害
第9章 安徽省 ― 鳳陽について語ろう
第10章 その他の地域
第11章 パンチェン・ラマの手紙
第12章 収容所にて
第13章 飢饉とは何か
第14章 人肉を食べる
第15章 年の生活

第三部 大きな嘘
第16章 農民を救った劉少奇 
第17章 毛沢東の失敗とその遺産
第18章 いったい何人死んだのか?
第19章 地誌をいかに記録すべきか
第20章 西側の過ち
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  1. 2010/10/30(土) 15:08:02|
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