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チベット問題を学ぶ(全3回) 第1回

チベット問題を三期(歴史的背景期と淵源期、発生期、拡大・深刻期)に分けて読みとく勉強会の初回。

今回は20世紀初頭のチベットの地位について。
特に英国がチベットをどのようにとらえていたか、という観点からのお話でした。
(2009年の芸術フォーラム第一回の講義と一部重なるところもあり)





寺子屋スーパーサンガ ~チベット問題を学ぶ(全3回)~
第1回 チベット問題の淵源 ―なぜ独立国チベットは国家承認されなかったのか―


講師:田崎國彦   
主催:宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会


■ 国際法上のチベットの地位について

・英国がチベットに求めていた役割とは

チベットはアジアの大国(ロシア、中国、英領インド)の狭間にあって、緩衝地帯となっていた。

英国にとってチベットは、中国沿岸の英領地域とインドを結ぶ通り道にあたる。
チベットに影響力を持っていたい。その一方で、貿易のために中国にも配慮したい。
   ↓
英国はチベットを領有する気はないが、緩衝地帯として存在して欲しい。
中国の宗主権は認めるが、実質を持たせたくはない。
   ↓
ラサ条約、シムラ条約など複数の条約によって、チベットを国際法上あいまいな地位に置き、緩衝地帯として温存しようとした。


・国家承認について

国際法のもと、国家承認されなければ国ではない。
「事実上の独立国だった」といえば一見チベットに有利なようだが、『承認されていなかった』と読み取れば覆される可能性もある。

当時のチベット人は国際法を認識していたか、独立(ランゼン)の表現を外交関係の中で用いていたか、など国際法とチベットについてはまだまだ検証の余地が多くある、とのこと。

また、チベットが大国の都合のために国を失うことになった事態には、中国よりもむしろ英米に責任があるのではないか。
(英国は前述の理由で、アメリカも中華民国を支援する中でチベットを国として承認してこなかった)

民族自決という現在の流れの中で、チベットだけがかつての帝国主義の被害者の立場に取り残されている。


■ チューユン関係について
チベット仏教文化圏における、宗教者と後援者という互恵関係。
個人から国家レベルまでありうる関係。

チベット仏教文化圏という考え方を否定する研究者もいるが、清の広域支配はチベット仏教があって初めて可能になったもの。
儒教文化圏での「天子」は、チベット仏教文化圏では「文殊菩薩の化身」と位置づけられる。


■ 政治と宗教について
ダライ・ラマはチベットにおいて、政治と宗教両方の権力をもっているが、あくまで土台は宗教者としての権威。
つまり、衆生救済の目的があり、その手段として政治がある。

清は1910~1912年の間(ダライ・ラマ13世は亡命していた)、チベットを支配。政教分離しようとしてパンチェン・ラマを利用した。
しかし、この間も1950年以降も、中国はダライ・ラマの宗教的権威を奪うことはできなかった。




……こんなお話でした。やっぱり、半分くらいは頭から抜け落ちてる気がする(涙)
難しい、でも興味深かったです。

民族自決の原則云々のあたりでは「チベットを帝国主義から解放」という中国政府の主張の言葉を思い出してしまった。皮肉な話ではある。

そして、宗主国という概念について。
この言葉は事例によって定義が異なること。そして、チベットにアンバン(駐蔵代表)がいるなどの状況から、英国は清とチベットの関係を『植民地支配の一段階』ととらえたのではないか、というお話。

そうかもしれないなあ、と思う。
駐在員とか軍備の有無は見ればすぐわかるけれど、「チューユン関係」なんてチベット仏教がわからなければわからない。ことに清朝末期では、その関係自体が薄れてしまったのだから。
そもそも植民地支配という考え自体、支配する側の論理しか生きていないもの。英国がアジアの論理をふまえて何かをするとは、考えにくい。

国際法にも似たような面がある、という話がちょっと出ていましたが、もう頭がいっぱいで(涙)何も入りませんでした。
ひとまず、ドルジーエフの本は読んでみようかなー、と思います。アマゾンもやたらと薦めてくれるし。


次回は1月末の予定だそうです。
行かれるかどうかわからないけど、覚書。
お寺へ伺うのは2回目なのに、今回もまた駅で迷ったのでした。

絶対迷わない方法
→ 一度、横浜市営地下鉄へ降りて、あらためて2番出口を出る。正面に観音寺への看板あり。

近道
→ 北口改札を出て、一度建物から出てしまう。新幹線線路の下にある円形エントランスを入ると、左手につばめグリル、右手にドラッグストア。
その間の、一見業務用のような細い通路から外に出ると、正面に観音寺への看板あり。


JR篠原口から出ると遠回りになるらしい。

それにしても、新横浜駅はずいぶん長いこと改修工事していたけれど、完成したのだろうか。
地元とJRとの間に何かあったのか、と思うほど、入り組んでわかりにくい駅になってしまった。



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  1. 2010/10/17(日) 22:34:27|
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