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講演会「北京五輪は終わっても、チベット問題は終わらない」

9/13、長野市で行われた講演会「北京五輪は終わっても、チベット問題は終わらない」に参加させていただきました。

(パンフレットより)
「北京五輪の誘致にあたり、中国政府は「人権状況の改善」を公約しました。
しかし、チベットをめぐる状況は今もって改善されないままです。北京五輪が閉幕しても、チベット問題から目を離すわけにはいきません。」
 (主催:「たぁくらたぁ」編集室 チベット問題を考える長野の会」)

前半は作家の渡辺一枝さんが8/26~9/9までラサへ行かれた時の様子について。
後半は渡辺さんとSFT(Students for a Free Tibet)日本代表のツェリン・ドルジェさんお二人のお話をうかがいました。

(おまけの話も含めて長文です)


<前半:ラサの様子>
 渡辺さんは年に数回、チベットを訪問されるそうですが、今年は4~5月は中国の許可が下りず、今回も短期間の滞在となってしまったためにラサ近郊のみ訪問されたそうです。

 これまでのチベット訪問と異なっていたのは、外国人観光客は必ずガイドを頼まなければいけないということ。そして、その旅行社の車やタクシーには監視カメラ、盗聴器が取りつけられていた(これらは当局にレンタル料を払って取り付けるらしい)。中には、密告用に移動電話をつけた車もある、とのこと。

 ラサの町の様子をひとことで言えば「鉄格子のない監獄」。
 町角ごとに武装した兵士(警官?)が数人ずつ立っており、建物の上からも見下ろす形で監視されている。
 バルコルでは右回りする巡礼者とともに同方向、あるいは逆方向に兵士数組が歩いて監視している。彼らは20歳くらいの若者だった。
 店々につけられていたタルチョーのかわりに中国国旗が飾られている。友人宅を訪問したり、一緒に食事に出かけるのも難しい。

 滞在中に、ショトゥン祭の日を迎えた。
 町には「ショトゥン祭へようこそ」というような内容の幕が掲げられているが人出は少ない。外国人観光客は渡辺さんと他にはひと組くらい。
 デプン寺の僧侶は多数が捕らえられているので、どうやってタンカを運んで広げるのだろうと思ったが、シガツェから来た僧侶が行っていた。また、シガツェから観客が動員されていた。

 北京五輪について尋ねてみたが、その期間中、ラサのチベット人の多くが「五輪が早く終わって欲しいと考えていた」という。

<後半>
 ツェリン・ドルジェさんはインド生まれのチベット難民二世で、1999年から日本在住。
 亡命したご両親が気候や言葉の異なるインドで苦労されたことや、休止中だったSFTの活動を再開されたことなど話されました。日本語がうまくない、と仰っていましたが、切実な思いはしっかり伝わってきました。


 一番印象的だったは、チベット本土からの僧侶の方の話。
 外部からの情報はアメリカからのラジオ(Voice of America?)からしか得られないのだが、これも当局からの妨害を受けて音楽を流されてしまったりする、どうにかならないだろうか、とのこと。
 同じような話を運営側から書いた記事はどこかで読んだのですが、逆の立場から聞くとあらためて複雑な思いがします。

 これに付随して、渡辺さんからは「チベットでは水道がないところでもテレビ受信機は行きわたっている」という説明。理由は公共放送を視聴するのに必要だから。
 不都合なチャンネルは前もって「見ないように」という通達されたり、それでも見てみると(笑)何も受信できなかったりする。

 また、チベット人が亡命しなければならない背景のひとつにある、本土での教育について。
 文化大革命の後には少数民族の言葉も教えるようになったが、チベット語を教えられる先生がいなかった。
 最近は(チベット語教育が)ふたたび軽視される傾向が強まっている。
 学年が上がるにつれて、チベット語の授業コマ数が少なくなっている。チベット語授業のある学校でさえこのような状況で、他には漢語しか教えない学校がある。また、成績が優秀な生徒は上の学校へ進むのだけれど、その場合は北京など都市部へ行ってしまう。



 「文化とは、民族衣装など目に見えるものだけではない」という渡辺さんの言葉にははっとさせられました。それは、生き方や考え方なのだ。苦しい状況にあっても、したたかで、笑いを忘れないチベット人の生き方そのものが脅かされている、ということ。
 私たち外国人ができる支援として、チベットへ行って下さい、と仰っていました。外国人の「目」があることが、チベットの人たちを助け、励ますことになる、と。

 そして、中国人を嫌うのではなくて、彼らに自国の中のことを教えてあげて欲しい、とも言っておられました。「ある中国人留学生は天安門事件のことを知らなかった」と話されたときには、会場じゅうがおもわず息を呑んでいました。
 また、長野の聖火リレーの時に、渡辺さん自身が中国人留学生と言葉を交わしたそうです。
 その留学生は自国でも北京と上海(だったか?)と、都市しか見たことがない。一方の渡辺さんは各地を見てこられている。その学生に対して「国に帰ったら、自分の国の田舎を見なさい。自分の目で見て、政府が言うことと比べてみなさい」と諭されたそうです。
 それと同時に、日本人も自国の過去、負の歴史をきちんと知らなければいけない、と仰っていました。この言葉には苦い思いで頷かされました。

<おまけ>
 閉会後、お言葉に甘えて打ち上げの席にお邪魔して、そこでもツェリンさんからダラムサラのお話など聞かせていただきました。

 インドのSFTではFREE TIBETアピールの勉強会をしたこともあるそうで。
「え、ダラムサラのチベット人の方がいったい何の勉強?」と思ったら、警察に連行される前に、記者から取材してもらうために時間をかせぐ方法とか……す、すごい、気構えが違う。
 また、ダラムサラの居住地はインドからの賃貸になっているということも、私は初めて知りました。
 ちょうど数日前、ネパールで不法滞在にあたるチベット人が国外追放されることになるというニュースを見たところで。難民という立場がどれほど不安であるか、それは「慈悲を生きる」上映会のときにも聞いたこと。「ダライ・ラマ法王が亡くなられたら、その先はどうなるかわからない」と仰る言葉が切実で印象に残りました。
 そうかと思えば、日本国籍をとるために「ばーっと勉強して漢字覚えて、ばーっと忘れちゃった」と笑っておられました。

<もう二つおまけ>
 善光寺さんへお参りしてきました。
 講演会が終わったあとだったので、すでに夕刻。マニ車は見られず。また、現在は回すことはできないようです。
 代わりに輪廻塔を見つけました。押してみましたが、うまく動かないので諦める……が、実はちゃんと回るらしい。
『石柱にはめ込まれている輪廻車を回すことで、諸々の苦悩から抜け出すことができる』とのこと。私は抜け出せないのかー。
 特別公開中の山門も午後3時までだそうなので、行かれる方はお早めに。






 今回、お参りして「善光寺さん、いいところだなあ」と感じました。リレースタート地点を返上して下さった、というチベット贔屓の気持ちは別としても、です。
 夕方というのに参拝客はひっきりなし。どう見ても地元の若い子がデートの途中に寄ったらしい姿や親子連れの散歩&参拝姿もあって微笑ましい。
 そして、何より。御堂でお祈りしている方たちの背中には真摯な気持ちがうかがわれたので。
 私はこれまで御寺さんにまったく馴染みがなかったのですが、少しばかり心惹かれました。

 もうひとつは、観光に立ち寄った松本にて。
 松本城下の「松本市はかり資料館」で、こんなものを見つけました。



 写真には写っていませんが、左の黒い棒は「中国の秤」という札がついてます。仕組みはチベットのものと同じ。長野県内の秤を中心にした展示館なのに何故チベット? 寄贈品でしょうか。
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  1. 2008/09/15(月) 17:11:30|
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